人生を投げる

今まで逃げ道を作る事によって安心してきました。

大学一年生の頃は、まだ2年、3年、4年があるから大丈夫。
大学二年生の頃は、まだ3年、4年。と
大学三年生の頃は、まだ4年がある、、と。

大学4年生。もう時間はありません。私はとうとう追い詰められ、時間という逃げ道で安心する事が出来なくなりました。

そこで自然と出てきた逃げ道が「自殺」です。「嫌になったら死ねば良い」という思考。

死を保険にする事によって何もしないようになりました。この「死」と言うのは絶対的なものであり、人生の最後に1回は経験するものです。死ねば全てが終わります。嫌な事ばかり起こるようになったら死んですべて終わらせれば良い。私はこの思考法により一生楽をし続けるでしょう。自殺を言い訳に嫌な事は何もせずに人生を終えるでしょう。楽しい事、希望を夢想しながら緩やかに老い、死んでいきます。無責任な考えですが、こういう性根に生まれたくて生まれたわけではありません。誠に遺憾で許しがたい事です。

何故こうなってしまったのかと過去を回想すると、親、学校環境、人間環境。
この3つが思い浮かびますが、今更どうにならないので、悔しいです。
何かのせいにしか出来ない自分にもため息が出ます。しかし、私をいじめて遊んだボケ共がのうのうと楽しく生きているのを見ると、心が不快になるので、死んで霊となったなら、そやつらの子孫を難治性うつ病にする職に就いて永遠に苦しませることにします。


私がこのまま老いて汚らわしいおっさんになったなら、人間ピラミッドの底辺中の底辺。もしくはピラミッドにも入れません。路傍の石どころではありません。子供たちに蹴って遊ばれる事もない水切りに遊ばれることもない、誰も触りたくない悪臭漂う生ゴミになります。

悲しい人生でございました。